牡鹿 | ひより軒・恋愛茶漬け

牡鹿

めったにないことだったが

居間のソファで兄が居眠りしてしまうことがあった。


晩秋の柔かな光が

空気の中の小さなほこりまで

きらきら光らせるような午後


ずっと触れてみたいと思っていた兄のうなじに

わたしはそっと指先で触れた。


汗ばんだ産毛は短く

動物の毛のように揃っている。


わたしは心の奥で牡鹿を思った。


牡鹿は若く

まっすぐに立ち

遠いまなざしを持っている。


わたしは目を閉じ

兄の夢の中に

その鹿を追いかけていく。


吸って

吐いて


くりかえす寝息のゆるいリズムに

呼吸を合わせようと夢中になれば

まどろみは静かにわたしを包んだ。


湖と間違うほどの池

水草の揺れる水面


そのほとりを

わたしたちは並んで歩いている。


話しているのはわたし一人だ。

兄は無口な人だった。


子供らしくふざけてお互いの体に

触れ合ったこともない。


鹿の背にそっと置いた手のひらが

人ごみではぐれそうなときだけ繋いだ

兄の手の暖かさを思い出させた。


兄の声が聞きたかった。


言葉が聞きたかった。


ただ、わたしの名前でもいい。


風が吹き

枯葉が舞って

前触れのようにさざ波がたった。


しかし

わたしの願いはむなしく

その静かな景色の中で

鹿は哀しい口笛を吹き始めた。






ブログを休んでいる間に

小説の講座で

井上荒野さんに小説を読んでいただいたりしました。


もちろん

ダメだしもたくさんされたけど

「頑張って書いてね」と握手をしていただいたりして嬉しかった。


白石一文さんや

大沢在昌さんにお話を聞いたり


贅沢なこと……ですよね。


本当に書きたいと思う日々です。


小説家になる、ということと

小説を書く、ということが

自分の中でイコールになっていないから


心構えが全然ダメ!なんだと思うけど

今は、とにかく小説が書きたい。


苦しんで書いていきたい、です。