誘惑の | ひより軒・恋愛茶漬け

誘惑の

 ― ほら。見てごらん。



その人の誘惑は

見せることから始まった。



わたしの開かれた瞳を

覗き込み

満足そうに微笑んで。



最初から

お見通しなんだ。



幼いわたしが

どうしようもなく

それを欲しがるに決まっている、と。



瞬きを忘れれば

知らず知らず

口角が緩んで



透明な唾液はそれを

汚してしまいそうになる。



あわてて拭う唇。

自分の味。



 ― さあ。どれがいい?



その人の歯は白く

爪は黒く汚れている。



どれと言われても

どれも

勝手に人のものを


盗ってはいけないのだ、と

それくらいのことは

わたしでもわかる。



醜さと

美しさ



言葉ではなくて本能的に

わたしは感じていた。



揺れながら

抵抗しながら



わたしにとって大切な決断のときが

今、この時なのだということを。






風の音が聞きたいです。


何かを揺らす音じゃなくて

風の

それ自体の鳴る音が聞きたいです。